2012年04月29日

タモのリサーチ(4/29-2)

             ☆祝福の中で愛を込めて☆


つれづれに
巡礼の旅路で…



        晩春の風情の元気村では
        やわらかな山々に囲まれて
        新緑と麗花と清風の
        有り難き耀きに浸されて
        我らはまさに生命の洗濯を頂いている


        朝のダンスワークに黙坐を重ねて
        大観祈祷を始まりに置く閑坐は
        自然の香りに満たされて清々しく
        体育館の空間がやたらと芳しい

        このまま沈黙に落ちて沈もう

        心地よい時が流れてそのまま
        空間は消えて何もかも「和」と満ちた


        「和敬清寂」

        千 利休が詠んだ「茶道のこころ」だという

        目の前の風景に満たされた感受が
        ふっ…とこの句を想起させた


        元気村の風景は様々な色々が
        それぞれの異なりを見せて鮮やかだ

        しかしながら目の前の自然は
        どことしてバラバラには感じえず
        全てが見事に美しいソレヒトツとなっている

        それぞれの色形を生かしながら
        相互の色味を合わせて和えて
        新たな味や色気を生み出しているような
        そんな感じが心に映った


        この自然の「和合」の様子は
        まさに精進料理の「和え物」の如し

        山々の木々に花々に小鳥たちは
        まさにこの和え物の真価を
        無言で露わに観せていると感受した

        個々それぞれの異なりは
        鮮明にリアルではあるが
        何一つどれ一つ不和を起こさず
        新たに優美な世界を
        全員で一緒に生み出している


        人間社会も本来は「和合」
        すなわち「和え物」であろう

        今の世の中のように
        スタンドプレーの自己顕示の見せあいでは
        やたらと味が尖って荒々しく
        決して美味とは言えず和やかではありえない

        本来の人間の集まりは和合の平和であるべきで…
        ならばすなわち「サンガ」が真意

        そうやっぱり感受する


        サンガの語意は「和合」
        音訳すると「僧伽」
        お坊さんを僧と呼ぶのは
        ここから生まれたそうだ

        在家の我らはお坊さんではないが僧であろう

        だから僧伽(サンガ)に生きるが本来
        一人一人各々個々人が
        それぞれの異なる持ち味特徴を和えて和合する

        混ぜ合せではない
        和え合せである

        この微妙な希奇に笑みが浮かぶ


        和は敬に明け 敬は清を満たし 清は寂に沁みる

        和が実感となって現れると
        自然に他を敬い敬愛するであろう

        つまり相互に「敬」あってこそ「和」は成り立つとなる

        和して敬すると必ず心は清らかになる
        清々しくなるはずだ

        自分も周りも清々しく清らかになれば
        自他の和合は「親しき仲の礼儀」
        和して合う一境を大切に尊ぶ心が観える

        和してなお潔く自他の一境を尊ぶ
        癒着なく迎合なく清凛と清潔な和

        「寂」とはこの境地の閑寂である
        と観ずるのは飛躍し過ぎであろうか…


        昼下がりの閑間にお茶一服頂きながら
        つれづれに山々を眺め眺めて一休みした


        好き日に一期一会
        愉しき生 有り難きかな



Posted by 岡田多母 at 19:55│Comments(0)
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