2007年01月31日

タモのリサーチ(1/31ー2)

☆天空のリサーチ速報☆

ナオ(奈緒)は静かに、そして明らかに、天上の高天原の宮社を包み、
宮社の大鏡を水粋の霊気に満たしています。
大鏡は鮮やかに霊気に包まれて、天の水鏡を顕してきました。

みなさんの心根に響いていますよ…icon06

清らかで清々しい、温かな何か~

感じませんか?

何となく嬉しい…
何となく穏やか…


シカのスケさんicon06
閉眼黙座で感じた『抵抗のなさ、
反発のなさ、妄想さえも自然に流れる』その感じ…観照です!
瞑想の極意『ただ観る』です!

空に雲が流れる…
を知っている…
何にも触発されず、ただ目撃しているだけ…

まさに静寂の心根です!開けました!
素晴らしい『ナオの感受』ですねface02
おめでとうございます☆☆☆icon06


たか子さんicon06
『物事がスムーズにピタリと運んでいく気持ち良さ、すがすがしさがある。
ものすごいスピード感があり、それに、ピタリと動く自分がいて、
バタバタはあるが、静かな自分がある。
表面は、イライラしてるけど、自分はしてない、
なんだか不思議』自然さです!最も人間らしい活動☆です!

至福の中で快適に、最高の能率で物事が達成に向かう~☆彡
ナオがあなたに溢れて、神があなたを導いていますface02
愛のなかで、喜びを開きましょう☆


はぐアリテさんicon06
空や空気の透明な感受は、あなたが澄んでいる証ですface02
清らかで幸福な感受は、あなたにナオの霊光が満ちて、
あなたからその霊光が周囲に溢れている証拠です!
素晴らしい愛をアリガトウございますicon06icon06icon06
どうぞ、もっともっと溢れさせてくださいませねicon06icon06icon06
オンマニペメフン☆☆☆


さんまやさんicon06
マナの霊光に溢れたナオを感受してくださり、
その感受は『如来の慈愛そのもの』と観じてくださいましたface02
あなたの心根のヒビキが《如来》であり、
あなたの愛が《慈愛》だという証です!icon06icon06icon06
どうかどうか、あなたの愛を溢れさせてくださいface02
この世に如来が顕現します!icon06
どうぞよろしくお願いいたしますface02


榎本さんicon06
龍神さまと響和なさいましたね~face02
ドンドン龍神さまを引き寄せて、ぜひぜひ、龍神さまと一緒に、
この世に神の神光を溢れさせてくださいませface02
この世に神幸を溢れさせてくださいませface02icon06
どうぞよろしくお願いいたしますface02icon06


天上の水鏡の顕現が、しめやかに、音もなく始まっています。

地上の水鏡が響和して、ヒビキが生まれる…

そのヒビキを感受する、神霊ヤマトの霊魂たちは、今日もニコヤカ、
穏やかに、幸福の香りを漂わせています~

静かな笑顔が、愛イッパイを溢れさせて、
笑いの渦をツクリマス~face02face02face02icon06

天空はあなたの心に開かれていますよ~

何となく明るい嬉しさ…ありませんか?


リサーチ続行~face02です!


タモのリサーチ(1/31ー2)  タモのリサーチ(1/31ー2)



Posted by 岡田多母 at 15:23│Comments(4)
この記事へのコメント
心響きます
正直 年明け早々 顔に気がこもり真っ赤っか~状態が続き、昨日がピークだったみたいで、恐怖心までいきましたが、今日朝 恐怖心が溶け込む感覚を感じながら 生活していました。
今現在 顔の赤みも熱のこもりも和らぎ 肉体的にラクになっています。
ただ、毎日 ご縁を感じながら タオさんのラブコールを拝読させて頂くだけの 私までに いろんな事を感じ 参加させて頂いている事に
改めて築き 言葉もないぐらい すご~いって感じです。 
天空に困り屋サンがもっと もっと溶け込一つになれる事を人体で経験させて頂いた感じです ありがとうございました。
Posted by まみ at 2007年01月31日 21:21
タモさん、
ありがとうございます。
明るい嬉しさ、今日もたくさんありましたよ!!
皆さんからのご報告も勇気づけられま~す。
ありがとうございます。

自分自身に関していうと、
今日は昨日より少し感度が鈍っている感じが
正直あります。身体が少々疲れ気味??

質問です。

怖かったことやヒヤッとしたこと痛かったことを身体が覚えていること、
これは生きていくうえで必要なことでしょうか?

嬉しかったこと、良い感じだったこと、スッキリしたこと、
こういった感覚も、覚えていたりします。この感覚は、
自分を良い感じに導いてくれるときもあれば、時として以前に
感じた同じ嬉しさ、良い感じとちょっと違うなって感じると、
その昔感じた感覚を何とか得ようと努力が始まっちゃったりします。
”比べる”ということであり、今ここの感覚を大事にできなくなります。

瞑想の時の静けさについても、同じように前と同じ静けさを無意識的
に探し出そうとしてしまう場合があるようで、そういう時には心の中は
黙座という感じにはなれません。
今日の場合、昨日の静かに座っていた時と同じような感覚を身体が
無意識的に求めちゃって、それで昨日と同じ感覚は
得られませんでした。それでも良い悪いはないわけで、そのまま
受け取ればよいのでしょうか?ちょっと疑問になり聞いてみました。

うまく説明できていないかもしれません。
要は身体で感じた感覚の記憶は必要なものと
必要ではないものがあるのか?
必要では無いものを手放せれば、日々ますます新鮮に過ごせるのでは
ないか?といった疑問ですが、身体の感覚の記憶が一つの役割として、
身体を守る機能があるとしたら、その機能については、
必要でないものではないわけで。。。
感覚の違いはあるけど、メカニズム的には快楽に溺れるのと同じ?
でしょうか。

まとまりがなくてすみません。
Posted by シカのスケ at 2007年02月01日 00:52
There was scarcely anyone in the street but ourselves. They kissed each other, laughed; Natasha laughed and cried both together, as though they were meeting after an endless separation. The colour rushed into her pale cheeks. She was like one possessed. . . . Alyosha noticed me and at once came up to me.
アバクロ ニット http://minori.hoikuen.ac/diarypro/data/af2.php
Posted by アバクロ ニット at 2013年11月27日 11:14
不器用な私としては大いにうろたえてしまうのですが、でも、この、心に強く響くメッセージをしっかり受けとcccsseめて努力したいと思います。ありがとうございます。
Posted by http://www.automatismes-fermetures.fr at 2014年12月01日 17:13
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